樋口一葉ゆかりの本郷菊坂地区(下)
本郷菊坂へは、丸の内線・南北線後楽園駅ないし三田線・大江戸線春日駅からアプローチするのがよいでしょう。菊坂下交差点から上る格好になります。
坂を上りきったところに「文の京 一葉文学のまち」と題された関連旧跡の案内地図があります。彼女が各旧跡に言及した日記の抜粋や転居経緯がわかる年譜もあり、デジカメで撮っておくと資料として役立ちます。年譜によるとこの界隈への居住は以下の通り。
明治23年9月(1890)18歳 本郷菊坂町70番地(路地の借家)
明治25年(1892)20歳 本郷菊坂町69番地(路地の借家、井戸がある方)
明治27年5月(1894)22歳 下谷竜泉寺から本郷丸山福山町4番地へ転居(下記石碑のある場所)。終の棲家となる
この界隈に来るだけで、前回ご紹介した路地と「一葉の路地奥の階段」、さらに一葉がよく利用していた質屋・伊勢屋の現存する店舗(営業はしていない)、本郷丸山福山町の住居跡が楽しめます。またいずれ取り上げたい菊富士ホテルの跡も菊坂にあります。上記案内地図によれば坪内逍遥の居宅跡がこの近く。そして司馬遼太郎「坂の上の雲」(一)で子規がしばらく住んだ本郷・常盤会寄宿舎跡は坪内逍遥の居宅跡に建ったということですから、「坂の上の雲」ファンにもうれしいエリアということになります。
土曜日にまた足を運んでみました。伊勢屋は「なぜこんなに古い建物がここに残っているのか」と思わせるほど、いい意味で古びており、重要文化財級の存在感があります。菊坂下交差点から上ってすぐにところにあります。
以下は一葉が伊勢屋に触れた日記の一節を「樋口一葉 日記・書簡集」(ちくま文庫)から。(毎度段落頭の字下げがシステム上できなくてすみません)
明治二十六年八月六日
晴れ。店を開く、向ひの家にて直に買ひに来るも中々にをかしき物也、 中略
夕刻より着類三つよつもちて本郷の伊せ屋がもとにゆく、四円五十銭かり来る、菊池君のもとに紙類少し仕入る、二円ちかく成けり、今宵はじめて荷をせをふ、中々に重きものなり、家に帰りしは十時ちかく成りき、持参の紙類明日の朝店に出すべき様今宵のうちに下ごしらへをなす、十一時床に入る。
一葉が本郷菊坂町69番地から小間物を商うために下谷竜泉寺に引っ越してきて店を開けた日の記録です。引越し先の下谷竜泉寺から元の菊坂に帰ってきて上の写真の伊勢屋に行き、四円五十銭を借りて、その半分近くを「紙類」の仕入れ代金にあてたようです。「荷をせをふ」とありますから、なかなか大変です。
武士だった父が亡くなって後、一葉が大黒柱役を果たすようになり、小説家としてのトレーニングを続けながら日銭稼ぎで商売をしたりしていました。ただ、下谷竜泉寺で始めた商売はあまりうまく行かず、1年足らずでこの界隈に戻ってきます。その頃から筆名が高まり、原稿料収入も入るようになって、だんだんと作家としての絶頂期を迎えますが、その期間は流星のように過ぎ去ります。
伊勢屋からしばらく上がって行くと、菊富士ホテル跡地に建つオルガノプラントサービス㈱の社屋があります。このあたり右手に降りる階段がいくつもあり、そこを降りると一葉の路地に接した通りです。
「菊坂コロッケ」の幟りを掲げたお肉屋さんがあり、名物らしかったので買ってその場で食べてみました。出来立てでおいしかったです。
そこからさらに上ると上掲「文の京 一葉文学のまち」の案内地図があり、本郷通りへ出て菊坂は終わりとなります。本郷通りに出てみれば東大の赤門はすぐそのへんという感じです。



私は本郷丸山福山町4番地、現西片1-17-8を目指すために再び菊坂を下ります。途中、再度、一葉の路地奥の階段に寄りました。「あぁここで一葉が生活していたんだ」と思うと今回も感慨ひとしおで、前回とは違うアングルで何枚か写真を撮ってしまいました。なお、繰り返しになりますが、ここはすごく狭いので、住んでいらっしゃる方々への配慮を忘れないようにしないといけません。
以下は下谷竜泉寺から用事があってこの界隈に来た時の一葉の記述。一葉の路地奥の階段を上がると前回写真を出した鐙坂の上のエリアに出るそうで、そのへんの地理事情がわかります。
明治二十七年二月頃
ひるは少し過たるべし、耳なれたるとうふうりの声の聞こゆるに、おもへば菊坂の家にてかいなれたるそれなりけり。あぶみ坂上の静かなる処ぞ真砂町三十二番地と人をしゆるまヽに、とある下宿屋のよこをまがりて出ればやがてもと住ける家の上なり。大路よりは少し引入りて、黒ぬり塀にかしの木の植込み立たる…
この界隈、改めてゆっくり歩いてみると、あちこちに昭和40年代を彷彿とさせる石垣、路地、木造家屋などがあり、好きな人にはたまらないと思います。
菊坂下へ出て白山通りへ出る途中にいくつか気になる店があり、写真に収めながら歩いていたところ、ギャラリー兼カフェがあるのを見つけたので、入ってみました(実はその前にラーメン屋さんも試し、昼ビールもいただきましたが)。店名はギャラリー吉永。
こちらは韓国の絵画、陶器、民芸、家具を展示しており、一部は販売もしているそうです。豆をその場で挽いて香ばしいコーヒーを出してくれます。ここで営業を始めて30年になるそうです。素敵なホームページがあり、店主の人となりが伝わってきます。
白山通りへ出て右へ折れてしばらく歩くと紳士服コナカの店が見えてきます。店舗に向かって右手に一葉の碑があります。ここが本郷丸山福山町4番地。ここの家で2年にわたり、猛烈な勢いで「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」などの作品を書き、1986年に結核のため世を去ります。享年24。
何度か触れましたが、彼女のキャラクターは関川夏央の「二葉亭四迷の明治四十一年」(この本は再三、四読に耐える名著です)によく描かれています。作家を志す男友達がたくさんいて、毎日のように彼女の家にやってきてはおしゃべりをしていたそうです。写真が5000円札にも使われたもの1枚しか残っていないようなので、生き生きとした容貌がわかりませんが、彼女のモテ方からすると非常にチャーミングな女性であったことは確かです。武家育ちで気風のいい、何でも相談に乗ってくれる姉御肌でありながら、細やかな機微もある、文才に優れた20代前半の女性だったわけです。
以下は昭和27年に建てられた石碑。左側に碑文の草書を活字で採録した日記文と建立の由来を記した文京区教育委員会の説明版。採録された日記がなかなかいいです。
石碑右側に四角い缶が置いてあり、その中にこの石碑建立に尽力した興陽社(現在も隣接するビルで営業)が作成した一葉碑解説パンフレットが置いてあります。同パンフ中になんとこの地の一葉旧宅の写真があり、脇に漱石門下の森田草平も写っています。大正の頃の写真でしょうか。














